断薬したら魔物が去って魔王がとりついた話(エピローグ)

19歳のころに統合失調症と診断され、32歳の現在までベンゾジアゼピン系オールスターズを飲んできた。障がい者手帳は2級だし、障がい者雇用で働いている。

 

2020.10月に突然会社に辞職を申し出た。翌日から休職になった。

当時も(今も)コロナ禍真っ最中。会社からはコロナ鬱だから休めといわれた。

1か月程度で戻ってくるつもりだった。

しかし3週間は寝たきり状態。ベッドから出ることもできず、起きることもできない。

廃人である。薬は飲んでいた。

 

当時GoToトラベルをやっていた。思い切って家族とともに伊勢神宮にお参りにいった。

健康祈願の御祈祷や神聖な空気に触れ、憑き物が取れたような感覚にだった。

治った治ったと会社に報告し、産業医と復職プログラムを行うことになった。

 

「毎日の日程表と新聞記事二記事を手書きで書いてくださいね。あと感想もね。

一日2400文字手書きで書くんだよ。パソコンはダメ。コピペできるからね」

 

心が折れた。

 

伊勢神宮に行く前日。名古屋のホテルに泊まったときに謎の高熱がでた。

終わったと思った。コロナか?でも3週間外出てないんだぞ。

眠れなかった。死んでた。寒かった。ロキソニンのんでなんとか生きてた。

 

謎の体調不良は終わっていなかった。

 

1日目。日程表を書く。

昼寝禁止だけど寝ていた。当然うそも書くこともない。

ごまかした。

新聞記事を読む。

 

 

 

 

うわああああああああああああああああああああああああ

 

こんな悪意のある記事読めるかぁあああああああああああああああああ

 

 

テレビも見れないんだぞおおおおお

 

 

 

3日で挫折し、復職プログラムは中止。

当時陰謀論を見ていたので日経新聞すらみれなかった。

 

12月。

復職プログラムをして会社に戻りたいと願い出る。

断られる。

 

 

断られる?

 

 

休めと言われ2~3カ月で復職する計画はパーになった。

 

 

1月。

とにかく情緒不安定。初夢で天照大御神みるし、記憶喪失になるし

もうだめだな。会社には戻れんと思いギリギリまで休暇をとってから

転職しようと決意。

 

そのころに通信教育でカウンセラーの資格2種を取得。

取得っていっても、カンペを見ながら宿題を提出するだけである。

カウンセラーの療法をちょっと知ってるよ資格に名前を変えた方がいい。

 

無駄な資格に5万払った。

 

でもカウンセリング手法はやる気をだしたり、毎日机に向かう体力をつける良い習慣になった。当時のノートは捨てられずにいる。

 

所詮「通信教育で黒帯とりました」レベルである。

 

3月。自己カウンセリングすることで良くなったと勘違いする。

勝手に断薬した。10年以上飲んでたベンゾジアゼピンオールスターズをやめた。

しばらくおかしかった。情緒不安、体の震え。離脱症状である。

中島健人の誕生日に大泣きして部屋に引きこもり、

家族を泣かせ、無理やり薬を飲まされた。

しばらく家族を恨んだが、悪いのは勝手に断薬した私である。

 

5月。カウンセリングの勉強が終わり、転職活動をはじめた。

そのころには太陽も登り、散歩や食事を気を付けるようになった。

1日5km散歩し、プロテインを摂取。

朝食は目玉焼き二つ、冷ご飯、納豆、バナナである。

タンパク質セロトニンオールスターズ(またオールスターズ)である。

これらは本当に理にかなっていて、セロトニンを作るいい食事なので

ぜひとも挑戦してもらいたい。

 

すっかり調子のよくなった私は1人で旅行に行けるようになった。

SZ10th新潟公演である。

 

ホテルの手配、観光、全部ひとりで行った。

頑張ったご褒美なのか、アリーナ2列目で前に人がおらず

チクチクハートの時に中島健人の視線をひとり占め、それぞれからファンサもらい

ああ私生きててよかったと本当に思った。

 

興奮でその日は眠れなかった。興奮すると眠れないのである。

伊勢神宮と同じ)

 

朝5時と7時にホテルの朝食をとり、携帯で大豆田とわ子をみて

暇つぶし。その後モスバーガーで焼肉ライスバーガーを食べ

茶店でフルーツサンドを食べた。

 

帰ってからばい菌扱いされ部屋に引きこもった。

 

 

ちなみに5月はジャニーズWESTさいたまスーパーアリーナも一人で行った。

当然ばい菌扱いされた。

 

同時期に

そろそろ戻りたいと願い出る。休職プログラムリスタートである。

 

日程表はExcelで作り、右翼な私は産経新聞を読んだ。

右翼がばれないようにほのぼのニュースからあたった。

 

パソコンで書いても怒られなかったし、コピペはしなかった。

 

1か月と1週間復職プログラムを行い

7月中旬に会社で慣らし勤務をした。

当時の部署から異動することがわかっていたので

はっはーんストレスとはおさらばだと調子に乗っていた。

8.2新型コロナワクチンを接種し8.3から異動先にいった。

 

しばらくは調子がよかった。

 

ロボットプログラミングしたりマクロ解読したり

部署でそれらしいことをやっていた。

 

しかし10月から愛猫の病気が発覚し在宅勤務が増え打ち合わせに参加できず

兼務先を外してもらった。

 

11.3愛猫が息を引き取った。

 

 

 

会社に戻っても仕事はなく、窓際族だった。

やめるしかないとおもった。

 

 

 

 

仕事量を調整し業務がだんだんと増え、

1月中旬までは調子が良かった。

 

 

このころに減薬、断薬を勝手に始めるのであった。

 

本編に続く。